老害とクソポエム
あと63日で平成が終わる、ゆとり世代と呼ばれてきたけれど、そういうのは置いておいて少しだけ真面目に考えてみた という話
老害、あまり好きではない言葉 あまり使いたくない、そう呼ばれているような人にもなりたくない。
どうありたいか?
年下も、年上も関係なく尊敬できる人を尊敬して日々学んでいきたいなぁ
という山もオチもないありふれたもの
あとはそこに至った道筋、考えたことをお気持ちたっぷり書いていくだけ 所謂オナニープレイのクソポエム
組織の指導者層が高齢化したまま、円滑な世代の交代が行われず、人材の若返りが阻まれ組織の健全性が失われていく様。
はてなキーワード
自分が老いたのに気づかず(気をとめず)、まわりの若手の活躍を妨げて生ずる害悪。
Googleアンサーボックス
個人的には学ぶことをやめ、老いた人が周りの新しい技術や若者層の成長を阻害してしまう というイメージ
勿論、私なんぞより素敵に歳を重ねられた方も多くいらっしゃる。
博識であったり、優しかったり、変化に寛容であったり
そんな方々に助けていただいたこともある。
であれば何故?
プライド? 思うように動かなくなっていく身体 自己認識との乖離? 脳の衰え?
私は人によって様々なパターンがあるとはいえ、全てが少しづつ原因なのでは?と思う。
生きてきたのだから勿論プライドだってあるだろう
無理が効かなくなっていく身体への苛立ちもあるだろう
脳の衰えとは書いたけれど、認知能力の低下のほうが正しいのだと思う。
自分が60歳くらいになったとき、自分というフィルターを通して見てきた自分の中の「価値観」「常識」とかが新しい技術等でひっくり返って「古い価値観の人たち」で括られたとき、今みたいに新しい技術すごいって喜べるだろうか?
自分より明らかに年下の有能な若い世代に「教えてください」って言えるだろうか?
「歳じゃないよね」って思えるだろうか?
年上であろうと年下であろうと自分が知らないことを知っている、自分ができないこと思考、表現、行動 そういうことができる方々を慢心せずに尊敬できるだろうか?
正直に言おう、こわい。
ごちゃごちゃうるさいやるだけだろ?
その通りだ、それしかない。
今できることは、この怖さを忘れないこと
このクソポエムを憶えておくこと
変化を怖れないこと
あとは歳を重ねてその時に、くそみたいに甘いこと言ってるけれど
それでも、このときの自分は間違っていなかったと思えるように生きていきたいなぁ なんて思っている。